疎通と平和のプラットフォーム(韓国通信)

190526登壇者の著作展示

 韓国・朝鮮にルーツを持つ作家と韓国国内の作家が一堂に会して意見を交わす「疎通と平和のプラットフォーム」が5月20~22日、ソウル市内で開かれました。国の行政機関「文化体育観光部」の傘下機関である韓国文学翻訳院の主催です。

 文芸批評家の崔元植さんによる基調講演に続き、「ディアスポラとその人生」「DMZ(非武装地帯)の国で」「なぜ書くのか」「わたしが出会った韓国文学・韓国文化」「マイノリティーとして生きるということ」というテーマ別の5つのセッションが3日間にわたって開かれました。登壇者は国内の作家10人と、中国、ロシア、アメリカ、ドイツ、デンマーク、日本、スウェーデン、ブラジルからの14人です。14人のバッググラウンドは、幼少時に養子縁組で海外に渡ったケース、朝鮮族、移民、在日コリアンなどさまざまでした。

 各セッションで登壇者の発表のあと質疑応答の時間がありましたが、一つの質問から話が広がり、さまざまな議論が繰り広げられました。例えば、何をもって「韓国文学」とするか。朝鮮族の石華さんは中国で韓国語の詩を創作しています。金仁順さんも朝鮮族ですが韓国語が得意でなく、中国で中国語の小説を書いています。彼らのように韓国以外で活動する韓国・朝鮮系作家の作品も韓国文学になるのか、韓国に拠点を置く外国人が韓国語で書いた作品はどうか、北朝鮮の文学はどういう位置づけになるのか、そもそも「韓国文学」というカテゴリーは必要なのか、などについて多くの意見が交わされました。

 石華さんは自身の作品について、韓国文学というより「ウリ(私たちの)文学」だと思っていると述べましたが、その「ウリ」という言葉がまた別の議論を呼びました。スウェーデン在住の小説家アストリド・トロチさんは生後5カ月の時、国際養子縁組でスウェーデンに渡り、韓国からの別の養子とともに養親に育てられました。当時、韓国はスウェーデンではあまり知られておらず、トロチさんにとっても馴染みのない、物理的にも心理的にも遠い存在だったそうです。また、彼女は「朝鮮族や韓国系アメリカ人など他の登壇者には韓国の血統が続いているが、自分は違う」とし、「ウリ文学」という言葉が使われる時、自分は疎外感を覚えると発言しました。この行事に招かれた時も、なぜ自分が?と思ったそうです。韓国で生まれ、韓国人の血が流れているからだろうと理解したが、自分のアイデンティティーは「海外に養子に出された韓国人」ではなく「作家」。今後、出自とは関係なく一人の作家として、あるいは作品をもって招かれる日が来ることを願う、とも述べました。

 それらのやり取りを受け、聴衆から「登壇者は韓国の“血”にこだわりすぎて、トロチさんに対し排他的な雰囲気を作ってしまっている」という意見や、「トロチさんのような存在は、女児が軽んじられてきた韓国社会の実態を表している。壇上の6人のうち女性はたった1人という構成も、女はどうでもいいという家父長制の表れではないか。昨今のMeToo運動にもつながる問題だ」という批判も飛び出しました。「韓国文学」の定義や「ウリ」についての議論が、この場でひとつの結論に至ったわけではありませんが、登壇者や聴衆の率直な意見を聞くことができ、とても興味深かったです。

 日本からは在日コリアン三世の2人が参加しました。『ジニのパズル』で群像新人文学賞などを受賞した崔実さんは「なぜ書くのか」のセッションで、誰にも話したことがなかったという過去のつらい体験を告白し、それが「書くこと」のきっかけになったと話していました。「マイノリティーとして生きるということ」に登壇した劇作家の鄭義信さんは、歴史に翻弄されてきた在日コリアンの歴史や、自身のこれまでの半生を紹介したうえで、「在日として差別を受けることもあったし、自分のアイデンティティーをどう位置づけるか悩んだこともある。だが、マイノリティーの人生はマイノリティーにしかわからない。『はざま』にいる自分にしか発信できないこともあると思う」と述べました。(文・写真/牧野美加)

「マイノリティーとして生きるということ」の登壇者たち

190525マイノリティーとして生きるということセッション

 

 

 

 

 

 

「わたしが出会った韓国文学・韓国文化」の登壇者たち

190525わたしが出会った韓国文学・韓国文化セッション