『完全版 土地』第1巻

 朴景利が25年の歳月をかけて完成させたベストセラー大河小説『土地』完全版の刊行が、吉川凪さん、清水知佐子さんの翻訳によりスタートして、話題を集めています。
 李氏王朝の崩壊から日本の植民地化、解放まで約50年間を時代背景に、慶尚南道河東郡の平沙里に暮らす地主一家の没落と民族の悲哀が描かれています。400字詰め原稿用紙1万5000枚にもなる超大作です(『土地』や朴景利について、クオンのサイトに詳しく掲載されています)。
昨年秋に第1巻第2巻が刊行され、第3巻が今月(4月)下旬に刊行される予定です。

 激動の時代、人々がどのような思いを抱きながら生きたのか、ストーリーが面白いのはもちろんのこと、蟾津江(ソムジンガン)がゆったりと流れる平沙里の景色や当時の暮らしが生き生きと描かれていて、読んでいるうちにまるで自分も参判家の使用人や村人の一員になったような気持ちになり、作品にのめり込むことができます。

第1巻の一部を紹介します。

四章 謎

 四方を覆いつくした漆黒の闇と、蟾津江の方から大声を上げて吹き寄せる風が凄まじい戦いを繰り広げていた夜、九泉と若奥様は、足首が埋もれるほど落ち葉の積もった雑木林をかき分けて行方をくらませた。それから三日後、崔参判家ではパウ爺さんの、喪主のいない葬式が執り行われた。ここ数日は朝夕、霊前に食事を供える時になると、声の枯れたカンナン婆さんが、裏庭にしつらえられた殯所<棺の安置場所>にやってきて、ふいごで風を起こすような声で哭をしていた。しかし婆さんが動けなくなると、上食は誰かが代わりに供えてくれただろうが、哀れな老婆に代わって哭をしてくれるような者はいなかった。
 鉛のような沈黙の中、参判家の下人たちは、川底の魚のごとく静かに動いていた。あの晩、誰が蔵の戸を開けてやったのかが、謎だった。無表情な尹氏夫人や、舎廊にこもっている崔致修がどう思っているのかもさっぱりわからなかったし、下人をむち打って、誰が蔵を開けたのかと尋問しそうなものなのに、そんな追求すらしないでいるのも、尋常なことではなかった。当主である崔致修と、この家の唯一の柱であり長である尹氏夫人の間で、どんな収拾策が相談されたのか、下人たちはその気配すら感じ取れなかった。ただ、下人たちの間では、旦那様があちこちに人をやって、家の名誉を傷つけた不倫の男女を探しているらしいといううわさがささやかれていたものの、それすら事実なのかどうかわからなかった。一方、家全体が死んだように静かなのに、別堂だけは昼夜を問わず大騒ぎだった。鳳順とその母、吉祥、サムォルは、毎日が戦争だった。
「お母様を連れてきて! 連れてきてちょうだい!」
 狂ったように泣き叫び、気絶し、あるいは手当たり次第に物を投げ続ける西姫に、ひどく手を焼かされたのだ。鳳順の母は魂が抜けたようにぼんやりしてしまい、太った体がやつれてしまった。
「言い聞かせようにも、まだ小さすぎて。私には何もできないわ」
 鳳順の母は、可哀想な西姫のために、人知れず涙をぬぐった。西姫はほとんど毎日、全く同じことを聞いた。
「お母さまはどこに行ったの」
「ソウルですよ」
「何しに」
「おじいさまに会いに」
「おじいさまはどこにいるの」
「ソウルにいらっしゃいます」
「どうしてあたしを連れていかなかったの」
「お嬢様が歩いていくには遠すぎるからですよ」
「輿に乗っていったらいいじゃない」
「ものすごく遠いんです。山を越え川を越え、また山を越え川を越えるんだから」
「吉祥がおぶってくれればいい」
「そりゃまあ、そうですけど……。山には虎がいるんです。大きな虎が、両目を火鉢みたいにらんらんと輝かせて、小さな子供を見ると、ガオーッて襲いかかるんですからね」

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