少年が来る

  昨年、ハン・ガン作家の『菜食主義者』(きむ ふな訳 クオン)が「マン・ブッカー国際賞」を受賞したことはまだ記憶に新しいところですが、『少年が来る』(井手俊作 クオン)がイタリアの権威ある文学賞「マラパルテ賞」を受賞したという素晴らしいニュースが昨日飛び込んできました。『少年が来る』は5.18光州民主化運動を扱った小説で、命を奪われた少年、その家族、過去の活動で受けた暴力にいまなお悩まされ続ける人々など、章ごとに様々な立場の人物をオムニバス形式で描いています。国を越えて本書が高い評価を受けたのは、ハン・ガン作家が丹念な取材を行って書き上げた渾身作であり、世界中で続く謂れのない暴力の被害者すべてに通じる物語だからではないかと思います。多くの人に読んでいただきたい作品です。

『少年が来る』

 軍人が圧倒的に強いということを知らないわけではありませんでした。ただ妙なことは、彼らの力と同じくらいに強烈な何かが私を圧倒していたということなのです。
 良心。
 そうです、良心。
 この世で最も恐るべきものがそれです。
 軍人が撃ち殺した人たちの遺体をリヤカーに載せ、戦闘に押し立てて数十万の人々と共に銃口の前に立った日、不意に発見した自分の内にある清らかな何かに私は驚きました。もう何も怖くはないという感じ、今死んでも構わないという感じ、数十万の人々の血が集まって巨大な血管をつくったようだった新鮮な感じを覚えています。その血管に流れ込んでドクドクと脈打つ、この世で最も巨大で崇高な心臓の脈拍を私は感じました。大胆にも私がその一部になったのだと感じました。
 道庁前のスピーカーから演奏曲として流れてきた愛国歌に合わせて、軍人が発砲したのは午後一時ごろでした。デモの隊列の中間に立っていた私は逃げました。この世で最も巨大で崇高な心臓が粉々に砕け散りました。銃声が聞こえるのは広場からだけではありませんでした。高い建物ごとに狙撃手が配置されていました。横で、前で、ぐったり倒れ込む人たちを見捨てたまま私は逃げ続けました。広場から十分に遠ざかったと思ったときに立ち止まりました。肺が破けそうなくらい息切れがしました。汗と涙で顔がぐっしょり濡れたまま、シャッターが下ろされた商店の前の階段に座り込みました。私よりも気丈な人が再び通りの中央に何人か集まって、予備軍の訓練所に行って銃を持ってこようと議論する声が聞こえました。じっとしていたらみんな死んじまうぞ。俺たちを、みんな撃ち殺してしまうんだよ。俺たちの地区では、家の中にまで空輸部隊の連中が入ってきたよ。怖くて俺は枕元に包丁を置いて寝たんだ。まるで話にならんよ、あっちには銃があるっていうのに。あんな風に真っ昼間に何百発も撃つっていうのに!
 彼らの一人が自分のトラックを駆って戻ってくるまで、私はその階段に座って考えました。自分が銃を手にすることができるかどうか、生きている人に向けて引き金を引くことができるかどうか考えてみました。軍人が手にした数千丁の銃が数十万の人々を殺害することができるのだということを、金属が体を貫通すれば人が倒れるのだということを、温かかった体が冷たくなるのだということを考えました。
 私の乗っていたトラックが市内に戻ってきたときには、既に夜が更けていました。私たちは道を二度間違い、ようやく着いた予備軍の訓練所は、既に別の人たちが銃を持ち出していった後で何も残っていませんでした。その間にどれほど多くの人々が市街戦で犠牲になったのか、私には分かりません。覚えているのは翌朝、おびたたしい人々が献血するため列をなしていた各病院の入り口、血の付いた白い上着を着て担架を持ち、廃墟のような街を慌ただしく歩いていた医師と看護師たち、のりで包んだおにぎりと水と苺を私が乗っていたトラックに上げてくれた女性たち、 一緒に声の限り歌った愛国歌とアリランだけです。すべての人が奇跡のように自分の殻の外に歩き出て、柔らかい素肌を互いに触れあわせたような一瞬一瞬に、この世で最も巨大で崇高な心臓が、一度は破れて血を流したその心臓が再びすっかり正常になり、脈打つのを感じました。私を魅了したのはまさしくそれでした。先生はお分かりですか、自分が完全に清らかで善き存在になったという感じがどれほど強烈なものかを。良心というまぶしくて清らかな宝石が私の額に刻み込まれたような瞬間の光輝を。(140頁から142頁)

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2017-09-16 (土)