「上京」(ファン・ジョンウン短編集『誰でもない』)

柿の木の実が大分色づいてきました。イチョウの木の根元にも銀杏が転がっていて、こうした秋の光景を眺めると、ファン・ジョンウンさんの短編「上京」(『誰でもない』斎藤真理子訳 晶文社)にあった唐辛子摘みのシーンを思い出します。寂れた農村を訪れる、都会での生活に疲れた若者たち。都会の生活をやめて農村で生活するとしても、何も手にしていない自分はここでもやはりやっていけないだろうと彼らは考えます。出口の見えない重苦しさのある作品ですが、登場人物の心の機微、風景描写がとても丁寧で、自分もその場にいて同じ光景を見ているような気になってきます。

「上京」

 いっぱいとれたかい。
 オジェのお母さんが私の袋をのぞきこみながら言った。彼女が1袋、オジェが1袋、私が1袋、腰の高さまである袋をそれぞれ1個ずついっぱいにして、三人でもう一袋完成させるともう日暮れだった。オジエと私は唐辛子摘みに飽きたので柿をとりに行くことにし、唐辛子畑の裏の低めの山に移動した。もともと丘といってもいいほどなだらかな山だったところを畑にするため山すそを削って整え、てっぺんだけ残した山だ。
 オジェが注意深く地べたを探して、先がYの字に分かれた竹竿を拾ってきた。誰かが使って捨てたものらしい。私は山頂から流れてくる水でできた水路をまたいで立った。石が流されてきて水路にはまり、その上に黒や緑の苔が生え、その上に去年、おととし、そして今年の落ち葉が積もっている。
 そこを踏んでうっかり足を滑らせたら、苔むした石の角にぶつけて顔がつぶれるかもしれない。気をつけろとオジェが何度も念を押し、私はわかったと答えて竿を高く持ち上げた。竿の先の枝分かれしたところにヘタをはさんでひねると柿がぽとんと落ちるというのだが、うまくいかない。竿をおろして位置を変えると、この竿が捨てられていたわけがわかった。Y字の先の一方が折れているので、ヘタをちゃんとつかむことができないのだ。竿を捨て、近くに散らばっていた木の枝を拾い、柿にむかって伸ばしてみたが、短すぎたり長すぎたり、重すぎたりする。
 気をつけろよ。
 長いのをゆらゆら振り回したりしたあと、オジェがちょうどいい棒を見つけてからはちゃんととれた。棒のせいか技術のせいか、枝から離れた柿が棒の先になかなか止まっていてくれず、すぐに地面に落ちてつぶれてしまう。つぶれずに落ちても、坂だからころころ下に転がる。私はおもしろがって一生けんめい杮をとり、オジェが坂を上りおりして柿を集めた。袋の半分くらい柿をとったあとは、銀杏を拾った。もう地面に落ちている銀杏は、落ち葉に埋まってじゅくじゅくに腐っている。オジェのお母さんが助言してくれたように手袋をはめて、黄色くぐしゃぐしゃになった果肉をしごきとり、実を袋に貯めていく。汁がついた手で地面に落ちた銀杏をつぶしてとると、センダングサのトゲトゲで手袋がまっ黒になった。老婦人が心配していたトゲとは、これのことらしい。
 ちょっと座ろう、とオジェがトゲのついた手袋をはずして言った。
 銀杏や栗のイガの上に座らないよう地面をよく見て、斜面に座った。刈り入れを控えた田んぼが広がっている。そのむこうは車もあまり通らない舗装道路、日はいましがた沈みはじめ、電柱し山製の影も少しずつ長くなっていた。オジェと並んで座り、田んぼを眺めながら柿を分けっこして食べた。柿は冷たくて甘かったが、少しえぐみがある。昔々のおばあちゃんのチョゴリの味がすると言うと、どういう味だよとオジェはめんくらった顔をして私を見た。オジェのお母さんが、このぐらい摘めばもういいだろう、と言いながら唐辛子畑の畝を行ったり来たりして袋をいっぱいにした。栗の木、いちょう、柿の木、松の木、いろんな木の枝のどこかでキトゥッ、キトゥッと鳥が鳴いた。どこかむこうの方から、おばさんがごまをはたいてとりいれる音が聞こえてきた。(27頁から29頁)

誰でもない

2018-10-10 (水)