思想の薔薇

 「韓国探偵小説の父」金来成(キム・ネソン)と、探偵小説として初めてベストセラー作品となった『魔人』(祖田律男訳 論創社)について、以前こちらでご紹介しましたが、日本語で読める彼の他の作品として『金来成探偵小説選』(論創社)があります。今回はこの中から、探偵小説「思想の薔薇」と随筆「鍾路の吊鐘」をご紹介します。「思想の薔薇」は、金来成が最初日本語で書き、その後、自身の手で韓国語に書き直したものを、翻訳者の祖田律男さんが邦訳したものです。祖田律男さんは韓国の古書市場で「思想の薔薇」のテキストを入手し、紆余曲折の末、翻訳に至ったそうです。「鍾路の吊鐘」は日本語で発表されたもので、鐘楼、普信閣を紹介する随筆です。「思想の薔薇」にも「鍾路の吊鐘」にも1930年代の京城(現ソウル)の街がいきいきと描かれていて、自分も当時の京城を歩いているような気分になります。
 『金来成探偵小説選』には、松川良宏さんによる詳しい解説もあります。金来成と江戸川乱歩の手紙のやり取りや、金来成が江戸川乱歩だけでなく谷崎潤一郎の作品も愛読していた様子なども紹介され、とても興味深く読み応えのある内容です。

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「思想の薔薇」

 雨滴がぽたぽた落ちてくる坂道を、白秀は一度も振り返ることなく一目散に橋のたもとまで駆け降りていった。
 「おーい、白君、ここらでタクシーを捕まえて乗っていこう」
 息を喘がせながらついていく劉準は後ろから大声でそう呼びかけたが、白秀は聞こえたような素振りも見せず、そのまま大橋を渡ろうとする。
 「さあ、白君、タクシーが止まっているぞ」
 劉準はどうにか追いついて自動車に乗るように勧めたのだが、
 「だめだ!君と二人きりでいるのはよくない!橋を渡って電車に乗ろう。それから、ちょっと賑やかなところへ行こう。人が大勢集まるところがいい!」
 そういうと白秀はまた、橋を駆け足で渡っていくのだった。仕方なく劉準もそのあとを歩いて追いかけた。
 東大門行市内電車は空いていた。白秀と劉準は並んで座席に腰かけた。電車がぐらっと揺れるたび白秀はびくついたように首を起こし、劉準の顔をじっと見つめるのだった。
 「よけいな告白をしちまったぜ!」
 白秀の顔が悔いを表していた。
 「白君、だいじょうぶかい?」
 こんなに人の多い所へ降りてきてまで、だいじょうぶかと問うのであった。そんな問いかけを劉準は低声で耳打ちするように訊いたのだが、白秀は仏様みたいに黙っている。
 「今からどこへ行くつもりなんだい?」
 なおもしばらく口をつぐんでいたところ、
 「どこだってかまわないから、賑やかな所へ行こう。明るい世界、陽気な世界へ行ってみようや。ーーところで劉君、金はあるのか?」
 「ああ、いくらかは持っているけど……」
 「なら、そんな所へ行こう。酒があって女がいて歌があってネオンのある……そんな所へ案内してくれ」
 ややあってから、鍾路の交差点で二人の若者は電車を降りた。
 赤い光、青い光の華麗なネオンが蜘蛛の巣さながらに軒を装飾する鍾路の裏通りを黙々と進み、バー「歓楽境」のドアをあおって店内に入っていった。
 もうもうと立ち込める煙草のけむりと甘美なレコードの旋律、そして青い酒と赤い唇をした女の世界が室内に充満していた。琥珀色のグラスを高く掲げて腕組みをした男と女が人生を愉しむ乱舞の世界が始まっていたのである。
 「歌をうたうのよ。青春の歌を、人生の歌を高らかにうたうのよ!」
 「そうさ。だれっ? この華麗な人生を憂鬱なんかと一緒に過ごしているのはだれなんだ?」
 「そうよ。そんなやからは当然、われらの歓楽境から追放すべきよ!」
 「そのとおり。異議なし!」
 「ごらん。この琥珀色の酒に彩られた人生の美しさを見てごらん!」
 「ごらん。この桃色のカクテルにふわりと浮いた桜桃の美しさを見てごらん!」
 「さあ、歌をうたおう!だれなの? 青白い顔でむなしく欠伸しているのはだれなの?」
 「追放しろ!追放を……はっはっは……」
 「おほほほ……」
 かしましい歓声を縫うようにしてジャズが流れ……酔漢たちは抱きしめ合って互いに頬ずりしながら狂ったように右往左往し……。
 歓楽の夜はかくして更けてゆくのだったが、バーの隅に置かれた棕櫚の葉影がが色濃く覆うボックス席では、ジン・カクテルを飲む白秀と向き合い、劉準は話をつづけていた。(96頁)

「鍾路の吊鐘」

 東京で言えば、鍾路通りは何に当たるだろう? 銀座か新宿か、恐らくそのどっちであっても構わないが、まあ新宿あたりで我慢しなければなるまい。
 鍾路は京城の心臓で、純朝鮮人街である。観光客などやってくると、まず京城駅前の南大門の雄姿を仰いで朝鮮を感じ、その次にはこの鍾路通りの四辻に立って、白魚のようにうねり歩く白い姿に朝鮮を見るらしい。
 しかし、もしこの鍾路通りのペーブ・メントから、白衣の姿をなくしたとしたら、果たして異国人達は、そこからどれだけ朝鮮というものを感じ得るであろうか、という疑問を起こさせるほど、そこには朝鮮の伝統を誇り得る所の、古びた古舗の影は次第に薄らいで、どこの国の都会ででも発見し得る煉瓦やコンクリートの、所謂近代的ビルディングが林のよう立ち並んでいる。
 片や和信百貨店、片や韓青ビルーだが、もし注意深いお客ならば、この四つの角の、韓青ビルと東一銀行との間の狭い三角地に、それこそ古式蒼然たる、時代おくれの楼閣が一つ立っているのを発見するであろう。
 楼閣といえば甚しく仰山に聞えるが、平屋の一棟、朱塗り格子に巡ぐらされた鐘撞き堂である。名付けて普信閣という。
 どうしてこんな古風な鐘楼が、所もあろうに華美な鍾路四辻にそのまま残されているのか、ちょっと訝しがる人もあろうが、鍾路という名前が実にこの普信閣の吊鐘から由来したと言えば、思い半ばに過ぎるものがあろう。(370頁)

キムネソン