新女性を生きよ

   韓国の国民的な女性作家といえば、朴婉緒(パク・ワンソ)が挙げられます。小説、随筆など、数々の作品を残し、多くの人に愛された作家です。
 そんな朴婉緒の自伝小説『新女性を生きよ(原題:どこにでもあったあのスイバは誰が食べつくしたのか)』(朴福美訳 梨の木舎)をご紹介します。韓国では20万部刊行のベストセラー作品です。

 1931年生まれの朴婉緒が幼少時代を過ごした故郷の朴積谷と、学齢期から大学入学までを過ごしたソウルの峴底洞が舞台となっています。朴婉緒の青春時代は、日本統治時代と解放後の朝鮮戦争に重なります。両班の長男の嫁という義務を放棄して、子どもたちの教育のためソウルに引っ越し女手ひとつで子どもを育てる母と、「新女性になりなさい」という母の期待に応えようと努力したり、反発したりしながら、自負を持って生きていく朴婉緒の、激動の時代を生き抜いた日々が力強く描かれています。

 訳者のあとがきによれば、本作品は韓国で「最も真実味あふれて書かれた20世紀韓国の生活風俗史的意義を持つ作品」とも評価されています。
 両班の家系だった祖父の家の、れんぎょうで作った垣根に、梨、あんず、ゆすら梅などが植わる裏庭や、桑の木に囲まれた中庭の美しい描写、近所の子どもたちとの遊びの様子、水道水の使えない峴底洞で水売りから水を買う様子、日本語で書かれた『ああ無情(レ・ミゼラブル)』や『王子と乞食』など世界の名作をむさぼり読む様子、解放後には親日派と目され、立派な祖父の家が見る影もなく襲撃されてしまう様子など、1930年代から1950年代までの生活様式や、混乱の時代を揺れ動く人心がよく分かる作品です。

 『新女性を生きよ-日本の植民地と朝鮮戦争を生きた二代の女の物語』

 母は以前から賃縫いをしていた。けばけばしい長持ちの他に小さな素焼きの火鉢と針箱が大切な世帯道具だった。一束、二束ずつ買って燃やす薪は、手早く煮炊きをすませると灰になる前に火鉢に移し、ここでしっかり灰に埋めておいて一日中使った。こてを使わないことには縫物はできない。
 妓生のものでなくとも賃縫いに頼まれる布地は田舎ならせいぜい色木綿だが、そんなものとは比べものにならない柔らかく光沢のある本絹だった。その裁ち残しのきれいな端布が風呂敷にたくさん積んである。わたしが退屈しのぎにそんなもので寄せ布縫いでも始めようものなら、母がうんざりといった表情で取り上げる。田舎では、わたしの年齢の女の子はほとんどがぐし縫いや、まつり縫いをする。自分のチマなら上半身とスカート部分を縫い合わせている子も少なくなかった。しかし母はそんなものを習って何にするのかと言うのだ。
 「お前はたくさん勉強して新女性にならなくちゃ」
 ただ一つ、これが母の信条だった。わたしに新しい女性が何かわかるはずはない。母にしても同じようなものだったろう。新女性という言葉は開化期頃から使われたらしいが、母には未だに解読できない、がしかし魅惑的な何かであった。古い時代の女性とは全く違う生き方ができたかもしれなかったのにという母の心残りが凝縮し、なお魅惑し続けているものについては、わたしの理解をこえている。母の血を受け、性質が似ているとしても、わたしの女としての性は始まってもいなかったのだ。わたしは、今この時の自由がほしい。だが母は家主の子ばかりでなく。町の子たちと遊ぶのも嫌がった。
 「お前は家系のはっきりした家の子なんだよ。放りっぱなしで育ったこの町の子たちと仲間になっても、悪い癖がつくだけだ。外で遊んだらいけないよ」
 母は妓生の縫物をする身で家柄だけは忘れないのだ。家柄がなんなのかよくわからないが、新女性よりはわかりやすい。田舎で空いばり程度は許される家柄、体面を重んじて生きてきたわが家の生活様式のことだというくらいの察しはついた。わたし自身そんな生活様式が恋しかったので、この町の子たちとは少し違うという感じがあり、家柄が理解しやすかったのかもしれない。しかし一方家柄は”お母さんはどうしてああなんだろう”と自分のすることはすべて正しいと信じている母をひそかに批判するきっかけともなった。田舎に置いてきた、うちの家系や家柄を自慢するときの母は、自分がソウルの人間になったことを田舎の家族にそれとなくさとらせ、自慢するときと全く同じだったからだ。田舎ではソウルを鼻にかけ、ソウルでは田舎を自慢の種にすることのできる母の二面性に混乱はしたが、わたしだけが知る母の弱点だとも思っていた。(52頁から53頁)

新女性を生きよ

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  1. […] 韓国の国民的な女性作家、朴婉緒(パク・ワンソ)の代表作である自伝小説『그 많던 싱아는 누가 다 먹었을까(どこにでもあったあのスイバは誰が食べつくしたのか)』が装いも新たに登場しました。既刊本を新たな表紙で刊行する「Re-cover : K」シリーズの1冊です(熊津知識ハウス/2019.6.4)。タイトルにあるタデ科の植物スイバの絵が描かれています。邦訳本は『新女性を生きよ』(朴福美訳/梨の木舎)というタイトルで刊行されており、本サイトの「日本語で読める韓国の本」で紹介したこともあります。(文・写真/牧野美加・五十嵐真希) […]

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