最近の韓国・朝鮮・在日関係図書(1)

 既刊書のうち、目に触れる機会の少ない人文書を中心に、韓国・北朝鮮・在日関係の図書を紹介してみたい。

 「目に触れる機会が少ない本」に限定するつもりだったが、最初から「良く見かける」中公新書になってしまった。木村光彦『日本統治下の朝鮮』は、日本統治下の統計とその後の実証研究によって、植民地時代にもかなりの経済の発展があり、各種の産業活動が活発だった事実を追究したものだ。著者は本書で植民地朝鮮における政治的、制度的支配の苛酷さを否認し、かつ植民地支配の合法化を主張してはいない。経済統計に表れた現象を拾い集め、それが韓国・北朝鮮の解放後にいかに引き継がれたかを語っている。この点では通説の盲点を埋める積極的な意味を持つのではないか。

 同『北朝鮮経済史1910——60』(和泉書舘)も同じ視点に立つ。前書に比べてこちらは、北朝鮮経済(1960年まで)に対して、より具体的に分析のメスを加えている。ついでながら、補章「朝鮮史研究会と『朝鮮の歴史』」は必見である。

次の、ト鉅一『日本統治時代の朝鮮経済』(桜美林大学北東アジア総合研究所)は、植民地朝鮮の社会経済的成長を主張する点では同じだが、統計数値とともに、同時代の人々の証言や後続の研究者に語らせているのが特徴。著者は小説家であるだけに、語り口は説得的で文章は理解しやすい。本書の訳者は「韓国では日本に対し好意的過ぎるとして大きな反響を巻き起こした」、しかし「日韓両国民にとって目を背けたい内容が含まれているからこそ、本書には大きな意義がある」と述べている、けだし卓見である。 

経済関係の3冊目は、安倍誠編『低成長時代を迎えた韓国』(アジア経済研究所)、類書が少ないだけにお勧めしたい。本書は「アジ研」が組織した韓国における社会経済的課題に関する研究会の、2年にわたる研究成果を6名の筆者が分担執筆したもの。テーマは輸出入の変容、IT産業の競争力、重化学産業の競争力と構造調整、高齢化にともなう諸問題、非正規雇用労働者の動向、社会保障制度の現状などと多岐にわたっている。韓国も日本と同様に、低成長で少子高齢化の時代を迎えているだけに、解決策をめぐって悩みは尽きないようだ。

 地域居住の高齢者を論じた『韓国済州道老人論考』(新幹社)もある。これは済州島の老人研究の先駆者、韓昌榮の著書『済州道老人論考』(第一文化社、1978)を邦訳し、解説「韓国高齢者福祉の回顧——朴在侃と韓昌榮の業績を通して」を加えた1冊。翻訳と論文執筆は西田知未が担当した。全編262頁のうち、翻訳部分は182頁(69.5%)を占めているので、表紙や奥付で西田知未著(著訳者)としているのは理解できない。韓昌榮著、西田知未訳・解説とすべきだろう。

 さて、この調査報告は素朴かつ明快に、済州島老人の暮らしの諸相をまとめ、その特質を抽出している。倹約性、勤勉性、自立性、長寿性、強靱性、温厚性とあるが、なるほどと合点がいく。けれども調査をした1970年代から、現在までは、すでに40年以上もの歳月が経過している。せめて解説に、現段階の済州島老人を取りまく状況と将来展望を付け加えてほしかった。

 済州島から日本に渡航してきた韓国人が、最初に落ち着くのは関西地域、特に大阪や神戸の地である。『人生の同伴者』(同時代社)は、書き下ろし形式。済州島出身の両親を持ち、大阪で育ち暮らした在日二世玄善允が、自身の家族の精神史を描いた作品である。在日朝鮮人文学では馴染みのテーマであるが、筆者はフランス文学の研究者だけに、ここでは努めて冷静に客観的な描写を試みている。研究論文でも小説でもない、強いていえばルポルタージュの範疇に属するのだろうか。こういう形式・文体が、在日の精神史・生活史を表現するうえで、有効であると知ったのは収穫だった。

 やはり済州島に関係するものが、『「在日」を生きるーある詩人の闘争史』(集英社新書)で、詩人:金時鐘と評論家:佐高信が対談している。金時鐘は3年前に『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)を出し、現在は『金時鐘コレクション』(全12巻、藤原書店)を刊行中であるが、これらを通読していくと、日韓のはざまに生きた詩人の真摯な生の姿に心うたれる。

 南富鎮『松本清張の葉脈』(春風社)は、比較文学者である著者が、松本清張記念館などの研究紀要に寄せた論文8本を収録している。全てが清張文学と朝鮮の関係を論じたものではないが、第1部「清張文学の系譜」に収められた5編の論文は、これまであまり言及されなかった清張の朝鮮認識、「清張作品における朝鮮」を扱っている点で新鮮味を感じる。同じく朝鮮体験を持つ丸山真男との対比で論じているのも面白かった。

 最後に、キム・エランほか著『目の眩んだ者たちの国家』(矢島暁子訳 新泉社)。2014年4月、韓国南西部の珍島沖でセウォル号の沈没事件が発生した。それは人間社会の信頼を裏切る大惨事だった。事件直後、季刊文芸誌『文学トンネ』は、夏季号と秋季号において、若手の小説家、詩人、文芸評論家、研究者ら12名に寄稿を求め、各自の論評を掲載した。後日それは書籍にまとめられた。それが本書の原著にあたる。

 ここで執筆者たちは、声高かに事件関係者を批判・叱責する側に立つよりは、なぜ韓国社会で大事故が頻発するのかと、静かに自省する側に身を置き、思索を重ねている。事故の責任追及をするのは容易だが、それだけでは事故の再発を防ぐことはできないからだ。国や社会の仕組み、それを構成する我々自身に問題があるのかもしれない、と思考を深めていく。12名の指摘は大きな広がりを示すようになる。韓国を日本に置き換えて考えてみたらどうだろう。“いま”を考える最適の素材になるのではないか。

        舘野晳(翻訳者・出版文化国際交流会理事)(『出版ニュース』2018年7月上旬号掲載)

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