【筑摩書房賞】
田中 久美子さん
女性たちは心の中に「キム・ジヨン氏」を抱えている
「82年生まれ、キム・ジヨン」
この本を読んで、私は遠い記憶の中の自分の姿を思い出した。
決して、忘れていたわけではない。忘れたことにしていた記憶だ。
キム・ジヨン氏は、予備校からの帰り、特別講義を聞いていて遅くなった。そして知らない男子生徒に付きまとわれてしまう。バス停からバスに乗り込むと男子生徒も乗り込んできてしまった。バスの中で恐怖に震え、父親に「バス停まで迎えに来て」とSOSのメールを送るも父の姿はない。
そして、降りたバス停で、自分に気があると勘違いしている男子生徒に「何で痴漢扱いするんだ」という言葉を浴びせられる。そして、その状況を見ていた勤め帰りらしい女性が助け舟を出す。そこにようやく父が来て、事情を話すも父はキム・ジヨン氏をひどく叱る。
私の話じゃないか?と思った。父に叱られたのまで同じだ。
「気をつけろ、立ち振る舞いを直せ。危ない人は見分けて避けなさい。避けられなかったらそれは本人が悪い」
悪いのは勘違いして付きまとった男子生徒であることは、火を見るより明らかだ。でも、悪いのはいつだって女性。女性であること故に善悪まで捻じ曲げられ扱われる理不尽さ。私は涙をぬぐいながら読んだ。
時代が流れ、世間を取り巻く環境も少しずつ変化した。でも心の中にある「理不尽」は今も解決されないままだ。何故、女性であるというだけで「理不尽」という厚い壁に行く手を阻まれ、「理不尽」という重い荷物を背負わなければならないのだろうか。
キム・ジヨン氏は時折、違う人物になる時がある。「理不尽」という得体の知れない生き辛さから逃れたいという逃避だったのだろう。
私はキム・ジヨン氏を抱き締めてこう言ってあげたい。
「ジヨン。辛かったね。決してあなたが悪いんじゃない。」
世の女性たちは、みんな心の中にキム・ジヨン氏を背負って生きているのだ。