●本書の概略
現代韓国文学の旗手による、人間の心の動きを精緻に描いた短編集
第12回金裕貞文学賞受賞作であるハン・ガンの『別れ』と、受賞候補6作品を収録した短編集。賞に名を冠する作家・金裕貞の小説同様に、時代の色合いを織り交ぜながら、人間に対する温かい眼差しで心の動きを描いた作品が揃っている。
審査員が「存在と消滅の哀しくも美しい境目」と絶賛したハン・ガンの『別れ』は、川辺のベンチで恋人を待ちながら眠ってしまった主人公が、目を覚ますと雪人間になっていることに気づくところから始まる物語。美しい雪景色を背景に切ない思いが綴られていく。
カン・ファギルの『よそ者』は、海外に単身赴任している夫を持つ小学校教師が、姑のいる田舎町に娘と移り住むことから足を踏み入れてしまう閉鎖的な人間関係を描いている。
クォン・ヨソンの『希薄な心』は、長年共に過ごしてきた同性愛の女性カップルを通して、冷たく暴力的な世間のLGBT認識を書き表している。
キム・ヘジンの『町内のひと』では、些細な自動車事故をきっかけに面倒な人間関係に巻き込まれる怖さを描く。
イ・スンウの『ソドムの一夜』は、旧約聖書に登場するソドムとゴモラのエピソードを複数の視点から描いている。その手法は、イエスの4人の弟子がそれぞれの視点でイエスの生涯を描く四福音書を思い出させる。
チョン・イヒョンの『お姉さん』は、大学内のヒエラルキーにおける虚栄と嘘、人間の裏面性を、「お姉さん」と呼ぶ先輩を通して描く。
チョン・ジドンの『光はあらゆるところから』では、大阪万博が開催された1970年代に人々が描いた「未来」を回想形式で語る。オリンピックを境に急速に発展していった、在りし日のソウルの姿が所々に描かれ、物語にさらに味わいを与えている。
●日本でのアピールポイント
本短編集には、ベテランから新進気鋭の若手まで、韓国現代文学を代表する作家たちの個性豊かな作品が収録されている。なかでもハン・ガンが描く美しくも切ない物語は、読了後に深く静かな余韻が残る。主人公は年下の恋人がいるシングルマザー。思春期の息子は既に親離れをし、恋人の愛情にも満たされてはいるが、仕事、老後など、将来が見えない不安の中にいる。手のひらで溶けていく雪片のような、小さく儚い幸せを胸に、自ら消えていくことを望んだのかもしれない。
日本社会でも人々は色々な不安を抱えながら、あたたかいつながりを求めている。たとえそれが先の見えない関係であっても、いま心温め合うことができる相手がほしい。日本でも心の触れ合いを求めあう中年男女を描いた『平場の月』がベストセラーになった。多くの読者が本作品に共感することと思われる。
作成:バーチ美和