●本書の概略
国民の人権保護を目的に設立された独立機関「人権増進委員会」。そこで一般市民の人権のみならず、あるときは犯罪者の人権を守り、あるときは公権力と陳情者との板挟みになりながら日々奮闘するのが「調査官」である。本書は、善悪の判断や断罪のためではなく、真実の追求を目的に奔走する彼らの姿をユーモア交じりの軽妙な筆致で描いた5作品を収録した連作短編小説集である。
『鏡のシミ』では若者たちのパーティーが一転して殺人現場となる。乱闘騒ぎの通報を受けて駆けつけた警官が、テイザーガンで若者を射殺してしまったのだ。現場にいた者たちの証言は一致せず、調査官らによる事情聴取が暗礁に乗り上げる。偽証の意図がない証言に隠された「事実誤認」はいかにして見抜くべきか。特殊な状況下に置かれた人間の記憶の歪みを明瞭に描き出す。
『青い十字架を追った男』では、死刑宣告を受けた連続殺人犯が登場。末期がんを理由に刑執行停止の申請を要求するその男は、引き換え条件として、被害者の遺体のありかに関する情報を提示する。一方、死刑判決が下されて以来、被害女性の両親は判決の撤回を要求していた。両親の望みは断罪などではなく、殺害された娘の亡骸だったのだ。ガイコツ村に謎の老婆、遺棄された墓など、ホラーミステリーの要素を用いながら、犯罪者の人権と被害者家族の人権の重みについて読者に問う。
『山犬のジレンマ』では、殺人事件の犯人として収監されていた男が、獄中で自殺。状況証拠と自白により有罪判決が下ったケースだったが、男にはわが身の潔白を論理的に証明する能力も、わが身に降りかかった苦難に耐える精神力も備わっていなかった。知的能力が境界域にある者が自白の強要を受けたことが発端となった悲劇。公権力のあり方について疑問を投げかけるとともに、人と人との繋がりの重要性を改めて提示する。
●目次
見えない人
ドブと花
鏡のシミ
青い十字架を追った男
山犬のジレンマ
●日本でのアピールポイント
韓国に実在する国家人権機構をモデルとし、普遍的な人権を求め孤軍奮闘する調査官たちを描いた物語である。東洋圏という類似した感性をもつ日本の読者も十分に興味をもって楽しめる作品となっている。また、自白の強要による冤罪に関する報道は、近年の日本でもたびたび見られ、他人事ではない。世界的に見ても、公権力により抑圧された市民が不条理な立場に置かれるケースも少なくない。そうした現状について疑問を提起するとともに、人権委のような機関の重要性、適切な公権力、健康な社会のあり方を読者に問いかける。
なお、本作品は2019年10月、同タイトルでドラマ化されている(主演:イ・ヨウォン、チェ・グィファ)。
作成:藤原友代