西村午後4時―西村ではじめた新しい人生

西村午後4時
原題
서촌 오후 4시-서촌에서 시작한 새로운 인생
出版日
2015年2月20日                             
発行元
マウムサンチェク(마음산책)           
ISBN-13
9788960902190 
頁数
204 
判型
152×210mm

「人生時計」という言葉をご存知でしょうか。人の寿命を80年として、一生を時計の24時間で換算した場合、今の年齢は何時に当たるかということです。働き盛りの40代なら正午から15時、還暦を迎えるころは18時となります。今回ご紹介する『西村午後4時-西村ではじめた新しい人生』の著者キム・ミギョンは、50代になってから新人画家として活躍し始めました。タイトルについて、「人生を1日にたとえるなら、50代半ばという年齢は太陽が西にぐっと傾きはじめる午後4時ごろに当たる」とし、「単なる西村の紹介ではなく、人生の午後4時を西村で暮らす1人の女性の日常をつづったものであり、午後4時のように成熟した西村の風景だ」からと説明しています。自分の年齢に諦めず、やりたいことに挑戦している彼女のエッセイには、力強いメッセージが込められています

●概略 

 約30年にわたる会社員生活にピリオドを打ち、数多くの伝統家屋(韓屋)が残るソウル・鍾路区西村の日常を描きはじめた55歳の新人女性画家、キム・ミギョンのエッセイ。大学卒業後の約20年におよぶ新聞記者生活、とつぜん仕事を辞めて米・ニューヨークのブルックリンで過ごした人生でもっとも華やかな日々、再びソウルに戻って会社勤めをしながらはじめた西村での暮らし――。それまでの生き方が「化学反応」をおこし、著者のなかに眠っていた“欲望”を目覚めさせたという新しい人生は、自由でありながらとてつもなく不安で、孤独だ。「いいご身分だ」「画家気どりか」といった周囲からのねたみや批判も少なくない。それでも、その欲望が本物であるかどうかをたしかめるように、日々屋上で黙々と西村の風景を描きつづける著者の穏やかながらも情熱的な思いがつづられている。表紙をはじめ、文中に添えられたペン画には、著者の西村への愛情がにじんでいて心を和ませてくれる。

CIMG1754修正1CIMG1753

●目次

プロローグ
ブルックリン午後2時、西村午後4時
第1章. 西村の春
第2章. 西村の夏
第3章. 西村の秋
第4章. 西村の冬
エピローグ
屋上画家の作品目録
あとがき イ・ジュホン(美術評論家)

 

●あらすじ

 第1章では、50代半ばの著者が、寄付事業を展開する財団法人の事務総長を辞めて「専業画家」になることを決意した理由が明かされる。1980年の学園民主化デモに参加し、「社会変革のために」と自らを省みることなく働きつづけてきた著者だが、新聞記者を辞めて渡ったニューヨークで「抑圧されていた自我」に目覚めて画家を目指すようになったという点が興味深い。「なぜそんないい職場を辞めるのか」「絵なんか描いて食べていけるはずがない」という周囲の雑音を脇に押しやって、たくましく生きるための心がまえも教えてくれる。
 第2章、第3章では、屋上画家と呼ばれるようになった理由、道端や屋上で絵を描くための許可をめぐる警察との戦い、絵を描くことで生まれた近所の人びととの温かいつながりが、ペン画とともにいきいきと描写されている。失敗だと思った絵もしばらく時間をおいてみればちがって見えることを教えてくれた絵の先生の言葉、ありのままに生きろと語りかけるようにたたずむ仁王山、どんなに時代が変わっても守っていかなければならないことがあると気づかせてくれた古い瓦屋根の家々など、絵を描くことを通じてえた人生の教訓もさりげなく表現されている。
 第4章では、自分なりの自由と幸せを求めて生きる他人の姿に感嘆しつつ、エールを送っている。著者と同じく新聞記者の仕事を辞めて古里の済州島にオルレ(海岸沿いに島を1周できるウォーキングコース)をつくり、斬新なアイデアで社会問題の解決に取り組むソ・ミョンスクさんの決断に強く共感。また、2014年4月に起きたセウォル号の惨事に際し、画家としての自分にできることははたして何なのかという疑問を自らに投げかけている。
 エピローグでは、著者の新しい人生への中傷に傷つき、怒りを覚えながらも、実のところ自分は「専業画家だ」と宣言しただけで、まだ絵で生計を立てるに至っていないことに気づく。そして、中傷を、自らを鼓舞する温かいはげましだととらえ直して、謙虚かつ力強く前進する決意を示す。

●試訳

  7年にわたるアメリカ生活を終えて帰国した2012年。職場も家も仁王山の近くに決めた。当時勤めていた「美しい財団」は鐘路区玉仁洞にあったが、はじめてその屋上にあがったときだった。仁王山の麓にある瓦屋根の韓屋が、まるで数百枚もの屏風絵のようにずらずらーっと広がっていた。一瞬、息をのんだ。まったく想像もつかなかった、うっとりするほど美しい光景がとつぜん現れたからだ。大きな波のように、雄壮な音楽のように迫ってくる景色。その夜、なかなか寝つけなくてスマートフォンのアプリで昼間見た景色を描きはじめた。それ以来、ひまさえあればあちこちと近所の建物の屋上にあがった。屋上からみた仁王山と、その麓に広がる瓦屋根の韓屋、植民地時代の日本式家屋、そのほかのさまざまな建物が雑然と入りまじっている景色が気に入った。地上からは決して見られない壮大な光景。何度見ても飽きない。私が謙斎鄭(朝鮮時代の画家)になったかのような大胆な錯覚さえおぼえる。
 じつをいうと、アトリエをかまえる余裕がない。人が絶えず行き来する道端よりも屋上のほうがはるかに静かで穏やかだ。つまり、屋上で絵を描く理由は、そこが私の“アトリエ”だからだ。屋根もなく、四方すべてが開放されたアトリエ。雨や雪が降れば使えない自然のアトリエ。会社員時代は、コーヒーを飲みながらひと息ついたり、気分転換のために風に当たりに来ていた屋上だったが、まるで暮らすように長い時間そこに座って絵を描いていると、仁王山と北岳山を背景にした西村の景色のすべてが、私のアトリエのように思えてくる(74~75頁)
                                                

●日本でのアピールポイント

  世の中の大半の人びとは、自分が本当にやりたいことがあったとしても、それをあきらめて生活のために目の前の仕事に没頭している。安定した生活を捨てて一から新しい道に進むのは決してたやすいことではない。それが人のうらやむような職場であればなおさらだ。年齢も気になる。本書には、もういい年だからといってあきらめず、そして、周囲の価値観にふりまわされずに、自分らしくより自由に生きたいと考えている人への優しくて力強いメッセージが詰まっている。 「何かを捨てなければ、自分の守りたいものは守れない。捨ててこそはじめて、新しいものが入ってくる空間が生じるのだ」――使い古された言葉のようだが、ひとり静かにもがきながらも、肩の力を抜いて自然体で実践している著者の言葉だからこそ、共感し、素直に受けとめられるはずだ。

著者:キム・ミギョン(김미경)
1960年、大邱生まれ。西江大学国文学科卒業後、梨花女子大大学院で女性学を研究。女性新聞、ハンギョレ新聞の記者などを経て2005年にニューヨークへ渡り、駐米韓国文化院に転職、見知らぬ街ではじめた新しい人生をつづったエッセイ『ブルックリン午後2時』を刊行した。7年後に再び韓国に戻り、寄付文化の普及を目的とする「美しい財団」の事務総長を務めた後、「やりたいことをやりながら(貧しくても幸せに)生きる」と決意。2013年から道端で、屋上で、西村の風景をペンで描く「屋上画家」として作品を描きつづけている。