韓国出版レポート(19-5)韓国文学の翻訳について

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韓国文学の翻訳について

                   舘野 晳(日本出版学会会員)

 日本における韓国文学の翻訳出版は、最近、大きな発展を遂げており、しばしばメディアの話題にもなっている。筆者調べによれば、昨年の刊行点数は40点で、2000年の11点、15年の25点に比べると、その躍進ぶりは目覚ましい。とりわけ「小説」の出版が増えているのは、大型書店の店頭でも確認できることだ。

 昨年末に刊行されたチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(斎藤真理子訳、筑摩書房)は、すでに発売数が13万部に達したという。これまでよく売れたとしても、せいぜい5000部程度と言われてきたから、出版関係者の「韓国ものは売れない」との固定観念を大きく転換させたことだろう。このように多くの小説が刊行されるようになったことについて、「韓国文学翻訳院」ほかの支援と、「K-BOOK振興会」の功績をつけ加えねばならない。

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そんな折だけに、つい翻訳出版の質(レベル)のことが気になってくる。この世の常識では、市場の拡大(売れ行きの増加)と品質レベルの向上はイコールではないからだ。

 そんな気がかりもあって、三枝寿勝氏の論文「朝鮮文学」(原卓也・西永良成編『翻訳百年』所収、大修館書店、2000)を再読してみた。「外国文学と日本の近代」とサブタイトルを付けた本書は、アメリカ・ドイツ・フランスなど、世界14か国文学が日本へ翻訳出版された歴史をたどり、紹介過程での課題を整理したもので、「朝鮮(韓国)文学」の項目は三枝氏が執筆している。

 論文の小見出し、「わが国における朝鮮文学の翻訳と受容」「朝鮮近代文学の翻訳」「翻訳の担い手」の、いわば歴史篇に相当する部分はすんなりと読み進めることができた。しかし、「翻訳の問題点」「異文化の翻訳」「意味の翻訳、翻訳の意味」の結論部分については、課題の本質的部分への指摘はあったが、翻訳状況全般に対する分析を目的にしていないため、物足りなさが残った。

 三枝氏の主張を紹介してみよう。これまで朝鮮文学のベストセラーが日本で翻訳出版されても「ヒットした例はない」のはなぜか。それはベストセラーというものは、それを生み出した地域の人の気質と感受性に合ったものだからで、日本の場合はそれが異質だったからではないかと分析する。そして異質の文化圏の文学を翻訳する際の姿勢についての問題提起に移る。

 翻訳回数の多い「春香伝」の翻訳の場合は、原文の持つ語り口の独自性、野卑なユーモア、語りが脱線し関係の無い方向に転じてしまうなど本来の特質が、合理的にスマートに整理され、それがかなり過度になっている。敢えて言うなら、翻訳は原文を日本文学の一部のような構成・文体に整えさせ、明快さ・読みやすさを追求した結果、違和感が薄れ、朝鮮文学の独自性を喪失してしまった。これは「春香伝」翻訳だけの問題ではなく、これまでの朝鮮文学の翻訳において共通しているのではないか、と問いかける。

 三枝氏は、こうした考えに基づき、日本語としての読みやすさ・文章の美しさだけを追求するのではなく、朝鮮語らしさを生かさねばならないと主張する。そしてみずから蔡萬植『濁流』の翻訳に挑戦し、これを完成させた(講談社、1999)。饒舌な語りの口調が目立つ、この翻訳を三枝氏はテストケースとして読者に提供したのである。刊行後、この試みはあまり話題にはならなかったが、翻訳に対する意見・批判として確認できたところでは、次の3編があった。

1、仲村修「『濁流』を読む」(『旧オリニ会レポート』(2012.7.26)

2、柴田勝二「欲望の力学、蔡萬植『濁流』(三枝寿勝訳、講談社)」『総合文化 研究』第3号、1999、東京外国語大学

3、三枝寿勝「三枝寿勝の乱文乱筆」ネット掲載、「『濁流』翻訳の後書き」「『濁流』の翻訳に寄せて(全文)」(検閲前第一稿)を所収

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 翻訳において「朝鮮(韓国)の独自性」を追究することは、必須の要件だろう。だがそれ以前の段階で、翻訳者や出版社に注意を促しておきたいことがある。最近の韓国文学の翻訳書に見られる事実認識の誤りや表現ミスのことだ。私が実際に発見した、そのいくつかを「出所秘匿」して、以下に掲げて置く(順不同)。

 国名表記、北朝鮮民主主義人民共和国/ 江原道は38度線で南北に分かれている(→解放直後は38度線、朝鮮戦争休戦後は、軍事境界線「休戦ライン」で分離された)/ 「画竜点睛だったと思いますよ」/ 列車で清津を経て鴨緑江を越えた(→豆満江)/ 近くにいいテナントが格安に売り出されている/ 日本人巡査が日本刀を下げていた/ 教師が教室で日本刀を下げていた(→ともにサーベル)/ 新潟県は(略)四方が山に囲まれている/ 不実にも昼食を抜いたせい/ 往き来する行人/ サングラスの下の目元に広げて歩く/ 訥弁な口を穿ってくれる相手/ 老人の固執に塞がれ/ 貯金を叩いて地下商店街に/ 口のなかでだけ蠢いていた台詞たちが/ 妻が彼を揺らした/ 月済し金/ 足の踏み場もないくらい狭まってくる客車/ 軒店/ 好奇心を惹かれた/ 遠い目をして私をみつめた/ 血のしたたるような金/ 広闊さに嫌気/ 肩が格段に傾き/ ぱっと見てもひどく滑稽なその店は/ まごついた風情で立っている/ そのたびに彼女の心臓は矢に射こまれる/ 毎日が新奇さに輝いた/ やにわにがばりと立ち上がった/ 難解用語・代えたい表現→目睫、蝟集、奇矯な歓声、困憊、眼間、無聊、陋屋、罪障感、滂沱と流れ、どよもした、輾転反側、いとけない顔・・・。

 これらは一部の翻訳書に見られたもので、すべての翻訳書が誤りだらけというわけではない。作者自身の記述(認識)ミスを、訳者が是正せずにそのまま放置しているケースもあった。しかし誰が犯したにせよ、誤りがあれば読者のためにも即刻訂正すべきだろう。今後も韓国の本について質の良い翻訳書が刊行されるよう、あえて苦言を呈しておこうと思う。