【優秀賞】
河本雅一さん
『1945,鉄原』
胸の中にできた鉄原という場所
鉄原が地名だということすら知らなかったのだが、本書を読み、鉄原の街を歩いている夢をみるまでになってしまった。鉄原は、朝鮮戦争の激戦地のひとつで、徹底的に破壊された。現在、一般人の立ち入りは制限されているそうだ。復元地図とわずかに見つけることができた当時の写真を横におき、登場人物たちの姿を想像しながら繰り返し読んだ。
物語は、「解放の日」の前日に始まり、若い敬愛、基秀、恩恵の三人の目を通して語られてゆく。三人に共通しているのは年齢くらいで、その立場や描く未来は、大きくかけ離れている。基秀の父親は横暴な大地主であるが日本側に協力し安定した地位にあった。貧しい家庭の敬愛の父親はその大地主にひどい目にあわされて死んでしまうのだが、敬愛は生きるために大地主の妾の家の手伝いをしている。基秀は、そんな父に反発してか共産主義に希望をみいだすが、彼の共産主義とは敬愛たち近所の貧しい子供と遊んだ追憶がそのまま形になったようなものだ。両班の娘である恩恵は、冷静かつ聡明で現代的な考えの持ち主だが、一方で、伝統的に拘る祖父に対して強い愛着心を持ち続ける。
読み進むにつれ、「解放」とは、何かの終わりや解決ではなく、まさにそれまでの社会の不協和が一気に解放され人々に降りかかってくることであり、解決に長い時間を要する一つのスタート地点に過ぎない、ということがはっきりしてくる。実際、敬愛の心には、今まで抑えていた強い感情が解放されたかのように湧き上がり、それが、38度線を越え京城へ向かうという冒険的な行動に駆り立てる。また、恩恵も自らの行動で、決して引き返せない重大な局面に関わっていくことになる。
敬愛が仕えていた華瑛が「招かざる客のような愛」という喩えを使う場面がある。立場や信条が異なっているにもかかわらず相手を思う恋心のことだ。この物語には、憎しみの心や陰謀も描かれるが、一方で「招かざる客のような愛」があちこちにちりばめられている。現代の日本人の立場からこの物語をどう受け止めたらよいのか、正直なところ少し戸惑ったのだが、それでも登場人物や物語に惹かれていくのは、この「招かざる客のような愛」であろうという気がしている。
本書には、魅力的な人物が多数登場し、ミステリー小説としての側面もある。そして、最後の悲劇的な場面はいたたまれない気持ちになるが、彼らの行動が希望につながっていることを信じよう。